月姫 (C)TYPE-MOON |
これは、事件のずっと後になって発見された、ある女の手記である。 信じるか、信じないかは、自由。 だが私個人としては、この内容に驚愕を隠し得ない。 では、その隠されていた記録を紐とこう。
わたしが、ずっと幼かった頃――― 冬 寒い寒い、あの日。 凍えていた私達に、無情なまでに真白い雪が吹き付けていたあの日。 吹き荒ぶ風が、寒くて苦しくて冷たくて悲しかった、あの日。 わたしたちを優しく抱き包んで温めてくれるはずの、母も、父も、誰も、いなかった…… 春 私達は遠野の屋敷に引き取られる事になった。 …させられた。 私は、見てしまった。 最初私達を預かってくれていた親類の家で、伯母が見知らぬ男から頑丈に作られた大きな鞄を受け取っているのを。 ちらりと見えたその中は、お金。 いっぱい、鞄いっぱいの、お金の、束。 私達は遠野槙久に買われたのだ。 その目的は、私達の血に伝わる特異な能力。 私達の感応の力。 遠野槙久は、自らの身体に宿る魔性のために、私達を欲したのだ。 ここは、古い血筋の遠野の屋敷。 ヒトでない、ナニかをその身と魂に宿す、呪われた化け物屋敷。 私達は売られたのだ、ここへ。 思い返せば、母と父の死も、あの男の謀かもしれない。 誰も信じられない。皆、嫌いだ。嫌いだ。嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い。 幸い、感応の力を持つおかげか、私は簡単な暗示を掛けることが出来た。 出来ることを知っていた人は、もう、いない。 もちろん子供ができる暗示なんて、幼稚な程度だ。 同じ子供相手にしか、効果は無い。 それでも、姉さん相手には十分だった。 槙久の相手を姉さんだけで済ませるように仕向け、私は陰鬱な屋敷内に居つかず、庭園や離れでの仕事をしていることが多かった。 そして、あの日。 もう一人、子供が引き取られてきた。 志貴さま―――当時は、志貴ちゃんとお呼びしていた。 一目で分かりました。 「あぁ、この子も私と同じ。家族を槙久に奪われたんだ」 男の子は脅え、離れに閉じこもりきりでした。 でも、私は繰り返し、訪れ、声を掛け、刷り込むように、言葉を紡ぎ、繰り返し、外に出てくるように仕込みました。 志貴ちゃんなら……そう、思ってのことでした。 志貴ちゃんは、優しい男の子でした。 志貴ちゃん、秋葉さま、四季さま、私。 きっと、この時が、4人としては楽しかった時期だったのかもしれません。 屋敷の中、庭園、林、皆で走り回って――― 忘れそうになっていた、自分の胸の中の何か。 夏 蝉の音が激しい、暑い日。 あの日、私は大きな、取り返しのつかない過ちをおかしました。 敷地内の林の中で遊んでいた時。 その頃、四季さまの志貴ちゃんへの言葉がキツい事が何回かありました。 四季さまはご自分では認めようとなさいませんでしたが、志貴ちゃんと秋葉さまの仲が良いことを妬んでの事と、思っていました。 その本心を引き出そうと、軽い気持ちで暗示を使いました。 きっとその時、私も自分では気付かずに、お二人を見守っているつもりで志貴ちゃんと仲の良い秋葉さまに嫉妬していたのかも知れません。 本当に軽い悪戯のつもりだったんです。 ―――四人で、ずっと遊んでいるうちに、私は大事なことを忘れていました。 ここは、遠野の屋敷と言う事を。 私が掛けた暗示は、四季さまの ほんとう を引き出してしまった。 ずっと四季さまの身体の奥底で、蠢きながら発露の機会を伺っていた、遠野よりの妖。 私が 四季さまを 変異 させてしまった。 私が 四人の繋がりを 壊してしまった。 ―――かわってしまった四季さまは、志貴ちゃん達の居る方に、獣のように駆けて行く。 恐ろしくて、怖くて、呆然と、どうしようか、林の入り口で、何をしたらいいのか、何でここに立ってるのかも、分からなくなって、立ち尽くしていた私を、侍従が見つけ…… ……それからは、よく覚えていない。 あの後しばらく、四季さまにも秋葉さまにも志貴ちゃんにも会わせてもらえなかった。 そして、数週が過ぎ、知った。 四季さまの反転は留まらず、志貴ちゃんは重傷。 そして一連の後継者のすり替え。 また、槙久の謀。 そして、私は―――笑う事を忘れていた。 ただ、志貴ちゃんが、私と一緒に居てくれれば、そう―――ただ、そう思っただけだったのに。 志貴ちゃんさえ、居てくれれば――― 重く沈んでいる屋敷の空気。 屋敷の人々は、私に変わらず笑顔を求めてくる。 その空気の重さゆえにより一層。 でも、私は笑えない。 笑いたくなんか、ない。 それでも、槙久が、侍従が、屋敷の皆が、笑えと言う。 いやだ。 いやだ。いやだ。いやだいやだいやだいやだいやだ――― だから、変わりに姉さんを笑わせた。 人形の様な、どこかぎこちない表情。 当然だ―――暗示なのだから。 でも、私の変わりにはなるだろう。 秋 姉さんが、庭園を箒で掃いている。 楽しげに、笑いながら、独りで。 私はそれを見ている。 虚ろに、屋敷の窓から、独りで。 姉と私は、入れ替わっていた。 秋葉さまも変わっていく。 後継者の殻を、押し着せられて。 静かな屋敷。 事は密やかに進めよう。 慌てず、じっくりと、全てに染み渡るように、確実に。 今度は間違えない。 いつか、志貴ちゃんが戻ってきた時、私が志貴ちゃんと一緒に居られる様に。 時間を掛けて――― ゆっくりと――― 時と想いを、紡ぎ合わせて――― 洗い、染め直すように――― それまでは待っていて、志貴ちゃん。 (了) ―――――○―――――○―――――○―――――○―――――○――――― あとがき こんにちは。Qさんです。 今回は翡翠のちょっとダークなSSでした。 ネット上で、ダーク秋葉のSSを幾つか読まさせて頂いているうちに、もし翡翠がダークだったら―――と思ったのが、今回のプロットの発端です。 なーんか、トゥルーシナリオの状況にサクっとハマるんですよねぇ。 琥珀さんの、あの影は、ホントは誰なんでしょうね? ↑ Top絵の更新によりイラストは見れなくなってます(^^; さて、あとは例によっておまけです。 ―――――○―――――○―――――○―――――○―――――○――――― eplogue ……志貴さまがもうすぐ、屋敷へお帰りになられる時間。 今日は、志貴さまたってのお言葉を頂き、街へ出掛ける事になっていた。 二人で。 志貴さまと、私だけ。 屋敷は、ひどく ――――― 静か。 当然。 もう、四季も秋葉さまも、姉さんすらも居ない。 秋葉さまは四季が、四季は志貴さまが、そして用済みの姉さんは自分で。 そう、私が仕込んだのだから。 子供の時は、軽い暗示程度の能力。 それも、今では“洗脳”と呼べる程の能力で――――― 時間だ。 志貴さまを出迎えに、門まで。 今日は、いつものメイド服ではない。 真白い、ワンピース。 玄関の扉を開き、表へ歩みを進める。 服が軽い。 スカートが風にのり、流れる。 その風には枯れ葉が、何枚か舞い、自然が香る。 外は、世界は、こんなにも、気持ちが良い――――― ふと、強く風が吹く。 手にしていた、白いリボンが飛ばされる。 ―――――飛ばしたのか――――― 「さようなら、姉さん」 そのリボンは少女の、少年とのただ一つの思い出。 でも少年は、私にこれを渡した。 姉さんでなく、私に。 だから、姉さんは――――― 「ただいま、翡翠」 「おかえりなさいませ、志貴さま」 幾つか危うい事はあったものの、結果は計画通り。 これからはずっと、二人きり。 「うーん、いつもの服と違う翡翠も新鮮だね。じゃ、行こうか」 「はい、志貴さま」 ずっと、一緒です。 これからも、ずっと。 よろしくね、志貴ちゃん。
―――――○―――――○―――――○―――――○―――――○――――― ■Return■ |
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