月姫 (C)TYPE-MOON |
「おい! 遠野ぉー!」 俺の肩に腕を回しながら、有彦が声を掛けてくる。 「なんだ?」 「そう連れない返事をするなよ。今日は、バイトをする為の家族の許しも出ない、可哀想な赤貧の親友の為にと、このオレがとっておきの贈り物を持って来てやったんだぜ?」 「またろくでもないモノだろう?」 俺は有彦の言葉を真に受けず、帰宅の為、校門へ向かう脚を早めた。 「まぁまぁ、昼の飯代にも事欠く親友の為に、夜のオカズを、な?」 「オカ……?! って、有彦っ?!」 「さぁ見ろ!親友。このオレの秘蔵のコレクションの中から、オマエに併せてチョイスした垂涎珠玉の芸術達だ!!」 有彦はそう叫ぶと昇降口のげた箱前で、装丁の色使いも艶やかに派手な表紙の3冊の本を、俺の眼前に突きつける! シスター・フィーバー コスプレフォト・メイドスペシャル 月下艶女…… あからさまに扇情的なタイトルが目に入るや否や、俺は抱え込んで周囲の目から隠した! 「バババ馬鹿野郎!! ここは学校だろうが?! こんな所でいきなり何てモノ出しやがる?!」 「確かに貸したぜ?」 当の有彦は、俺から離れて出口近くに立っていた。 周囲の目が痛い。 そりゃもー“点”に突き刺さらんばかりに酷く、痛い。 「……って、オイ! これどーすんだよ?!」 「はっはっはぁー! さらばだ志貴くん! また会おう―――――!」 そのまま駆け出して行く。 「ちょっと待て!有彦―――!!」 「ちゃんと返せよぉ―――――!」 教諭達から逃げる為に鍛えた俊足で、追う間もなく、昇降口から差し込む赤い夕日の輝きの中に走り去り、消えた。 あれから、3日が過ぎた。 有彦は、学校に姿を見せない。 それまでは、何ら変わった所は見受けられなかった。 皆は、いつものサボり、もしくは旅行と言う。 ―――――いつもの事。 三日前のあの放課後。 いつものバカやっていた、夕焼けに赤く染まる昇降口。 それが、元気な有彦を見た、最後だった。
三咲町暴力団抗争激化!! 警察・機動隊とも激しく衝突!! 水面下で学生へ薬物流通も?! ……同級生から今朝の新聞には、そんな煽り文句が大きく掲げられていたと聞いた。 「乾くんちょっと心配だよねぇ。何か目をつけられそー? そんな雰囲気じゃない?」 土曜日の昼。またの名を、週に一度の早い放課後。 帰宅や部活へ急ぐクラスメート達が騒がしい中で、俺の席にやってきた同級生、弓塚さつきはそんな事を話し掛けて来た。 この娘も、目を付けられると言えば……まぁ、今の時間は関係ないか。 「いや、有彦はあれでも筋を通すヤツだよ。そんな非道な事には関わらないよ」 「そっか。乾くんの事、信頼してるんだね。……ね、ねぇ、私がまた行方不明になったら、ちょっとは心配してくれる?」 言うと、弓塚は興味深げに俺の顔を覗き込んで来る。 「……そうだな……有彦は居なくなっても、確かに気にはなるけどそんなに心配はしないな。いきなり予告無しに旅行に出掛けたりするヤツだし。弓塚が居なくなったら……多分そりゃー心配になって探すだろうな〜」 真面目な顔をし、俺は返事をする。 「ほ、ホント?!」 「何たって前例があるし」 一瞬、喜色ばんだのもつかの間。続いた俺の言葉に、弓塚は一転、憮然とした表情になる。 「あ、あれは〜……」 「ははは、でも有彦が気になるのもホントだよ。今日は土曜日で早く授業が終わったしね。ちょっと有彦の家に寄ってみようかと思ってるけど……」 「あ、ねぇそのお見舞い?一緒に行ってもいい?!」 何だか突然、少し顔を赤らめながら、弓塚が詰め寄って来る。 「え、あぁ。も、問題無いんじゃないのか?」 眼前に寄った弓塚の顔に、気持ち少し狼狽えながらも、俺はそう返事をした。 § § § § § 二人、いつもと違う道を歩いている。 いつもの通学路の坂道では無い、有彦の家へと続く路。 昼過ぎの、まだ太陽も強く明るく輝く時間。 弓塚が肩を触れんばかりに、俺のすぐ隣を歩いている。 「乾くんのお宅ってもうすぐだよね……って、どうしたの」 機嫌良さげに声を掛けてきた弓塚の口調が、俺の顔を見上げて曇る。 「え? あぁ、何でも無いよ」 笑いを作り返事を返す。 だが、俺は危険な何かを感じ取っていた。 有彦の家に近づくほど、何かが、俺の首筋を這い上るような、あの感覚。 ちりちりと響く。 「……有彦が、今度はどこに旅に出たかなーとか考えていただけさ」 俺は自身の不安を誤魔化すように、話をそらす。 「うーん、前は名古屋だっけ?」 「なんかマンガを読んで、赤城山に行きたいとか最近はぬかしてたな」 そんな、場つなぎの会話をしているうちに、目的の場所に、着いた。 § § § § § 不安は、俺の想像を越えて的中していた。 「……よぉ。 カッコ悪いトコ見せちまったな」 俺の前には、包帯に包まれた有彦が、寝台に横たわっていた。 隣で、弓塚が息を呑んでいる。 「な、何でそんな、ケガ……?」 俺が言ったのか、弓塚が言ったのか、みょうにしわがれた声が、室内に響く。 ベッドの上の白い塊が、震える。 ……笑ったのか? 「え、やだなー階段から墜ちただけだぜ? 間抜けだよなーオレも」 「馬鹿野郎! 暴力団にボコにされたってのは、姉さんから聞いたぞ! 俺が聞きたいのは、何でそんな目に逢うような事になったかってんだ?!」 自分でも、叫んだ後に驚いてしまうような、声。 「あ―――――…… ちぇ、姉貴も余計な事を。 ……しょうがねぇなぁ」 気を抜いてか、有彦は、布団に深く沈みこむ。 「……最近、この辺りに手を伸ばして暴力団あるだろ? あいつらが、俺をつかまえてさ『薬のバイヤーになれ』って吐かしやがったんだよ。ウチの学校狙ってさ。そんな外道で畜生な事、冗談じゃねぇ! ……とかやってたら、このザマさ」 腹立たしげな声が、静かな寝室に響く。 先に聞いた、姉さんの言葉が、思い出されて心に響く。 『……警察には通報したわ。警察の方でも、あの暴力団は問題になっていて、内偵は進めていたって。……新聞は見た? でも、本当は、機動隊は押し返されたのよ。銃器が使われるほど激しい衝突になって……あいつらは倒れないで、普通じゃないわ! 志貴ちゃん……あなたは関わっちゃだめよ』 知らず、俺は拳を固く握り締めていた。 「志貴くん……」 そんな俺を見かねてか、弓塚が心配そうな声を掛けてくる。 「ん? あ、何でもないよ。大丈夫、何もしやしな……」 「ちょっと待てコラ!」 作り笑顔で答えた俺の言葉を遮り、有彦が叫ぶ。 「オメー、その顔は何か隠してやがる顔じゃねーか?! 何考えていやがるっ?!」 「えぇっ?! し、志貴くん?!」 有彦に続いて弓塚も驚愕の声をあげる。 ……ったく、しょうがないな。 「弓塚、そろそろおいとましようか? 怪我人をあまり興奮させちゃ身体に毒だ」 俺は眼鏡のズレを直す振りをして、有彦の脚を眼鏡の隙間から覗き見る。 「あ〜、うん、そうだけど」 「オイコラ! 話は済んじゃ……」 「怪我人は大人しく寝ていろ!」 俺は、有彦の脚に見えた“線”のすぐ脇を指で弾く。 「―――――っ!! ―――――っ!!」 声にすらならない悲鳴。 線を傷めてはいないから、怪我そのものには大事無いはずだ。 ……当分、動こうという気はしないだろうけど。 「ちょっと!志貴くん?!」 「暴れる怪我人に痛いクスリさ。痛い痛いの有彦は寝かせておいて、俺たちは引きあげようか?」 俺は弓塚を押し出すように、ドアを開く。 「……だから、……何・考えて・う……」 呻きの中から、懲りずに問い掛けて来る。 まったく、その根性は大したものだ。 俺は振り返らずに、答えた。 「おまえの敵は俺の敵だ。 そうだろ? 親友」 返事は聞かずに、ドアを閉めた。 § § § § § 乾家を辞した俺を、先に出ていた弓塚が門の前で待っていた。 「ね、ねぇ、志貴くん。何をする気なの?」 心配そうな顔。 不安を溢れさせて歪んだ顔。 ―――――そう、しばらく前にも、翡翠に琥珀さん、そして妹の秋葉にもずいぶんその表情をさせてしまった。 あの時は、人外が相手。 俺自身、生き残れるなんて、初めは思えなかった。 どうせ、壊れかけのイノチ―――――初めは、そう思っていた。 でも 「大丈夫。へんな事はしないよ。そんな自殺願望は無いから。ちゃんと月曜には学校に行くよ」 俺は陽気に笑って返す。 そう、死ぬつもりなどありはしない。 しかし、それでも 「ちょっと他にもレンタルしてたのを返しに行かなきゃいけない所とか、用事があるんだ。だから、今日はここでお別れだ」 駅前の繁華街へ、俺は脚を向ける。 「し、志貴くん?!」 とまどった様な弓塚の声。 ふと、足元を見下ろすと、黒い小猫が前に居た。 ―――まるで、俺の行く手を遮るかの様に、ちょこんと。 「ほ、ほら、猫ちゃんだって行かない方が良いって。えと、えと、それに黒猫が行く手を横切ると縁起が悪いって言うじゃない?」 彼女なりに心配してくれるのは、悪い気はしない。 そのまましゃがんで、小猫の顎を撫で上げる。 軽く目をつむったが、すぐに開け、訴えかけるように一声鳴いた。 「借りたものを返すだけだよ」 そのまま、素早く立って道を急ぐ。 「じゃ! また来週、弓塚」 § § § § § ……また、来週…… そう、大声で言った志貴くんは、あっと言う間に駆け出して、遠くの曲がり角へ消えた。 ホント、一度決めたら頑固で、のんびりしている様で、本当は凄い。 昔からそうだ。 気が付けば、あの猫ちゃんも姿が見えない。 土曜の午後の道路に、私一人。 う〜ん、乾くんのお家からの帰りに、ちょっとお茶でもとか誘ってもらえればなーって思ったのは、まだ甘かったのかしら。 私は振り返ると、自宅への道を歩き始める。 そんな雰囲気じゃなかったしね。 あ〜ぁ、夜になれば、少しは志貴くんの助けは出来るのかな…… 歩きながら、物思いにふけっていると、後ろから車の音。 何となく、路肩に寄る。 と、車が私の脇に止まる。助手席の窓が開いて 「スンませ〜ん! ちょい道を……」 「はい?」 返事をして、その窓を見ようと―――――ぷしゅ! 軽い破裂音。 白煙。 視界が、真っ白な――――― ――――― シ ロ ――――― § § § § § 三咲町駅前・繁華街 ―――――その裏通り。 俺は、件の組事務所ビルの近くに立っていた。 我ながら自分の直情ぶりに、少々呆れてしまう。 あれから、俺は屋敷に帰りが少々遅くなる旨の電話を一本入れるついでに、琥珀さんにちょっと地図を調べてもらい、ここに来た。 さすがに警官が周囲に張っている。 俺は路地裏の影に、腰を落して身を潜めていた。 さて、どうしたものか…… ……思考開始後、数瞬も経たずに、全身の細胞が警戒信号を発する! 強力な人外の存在。 それも、すぐ近くに―――――! 振り返りながら立ち上がろうと ぽふん。 突然、目の前全てが真っ白に。 頬にあたるのはやさしく、柔らかな感触。 「あれ? 志貴のえっち★」 少し身体を引き、体勢を直すとそこにはアルクェイドが居た。 「あ、あれ? な、なんで、おまえがここに? って、もしかして」 「志貴ったら、まだ日が高いのに〜」 顔を赤らめて、胸の辺りを両腕で隠すように、腰をひねる。 メリハリのあるボディラインが、ゆったりとしたシャツの上からでも見て取れ、腰のひねりに併せて、長いスカートが柔らかに広がる。 その、姿は――――― 「―――――!」 自制! 理性! 我慢! 根性! 努力! 友情! …… 勝利! 「ど、どどどうせ、俺の背後から近寄って、脅かそうかしたんだろ?」 「あ、分かっちゃった? さすがねー」 ころころ無邪気に笑う。 まったく、こいつはいつも猫の様に気まぐれで――――― 「ちょっと待て。まださっきの問いに答えて無いぞ?」 「あ、その質問は私もしたいなー。ねぇ、どうして志貴がこんな所に来るの?」 「あー、いや、その、おまえも会った事あったか?俺のダチで有彦って居るだろ? そいつが、ここらで大怪我させられちゃってさ……聞いた話じゃ、どうも普通の奴らじゃないとか言われてるから、その、見に来たって言うか……」 「相変わらず、誤魔化すのが下手だねー。レンが知らせてくれなかったら、さっさと一人で乗り込むつもりだったでしょ? ま、その正直な所も良いんだけど」 「う。そ、そー言うおまえの方はどうなんだよ?! 人間同士の抗争なんて、それこそ真祖には関係無いだろ?!」 無邪気な笑顔が、気が付けばどこか、生きる人間に根源の恐怖を思い起こさせる、吸血姫の顔に変わっている。 「そうでもないのよねー。あそこにあるモノは、確かに普通じゃない様子でさ。私たちの領分っぽいのよ」 「どういう事だ?」 「そうねー。 私は説明が苦手だけど……」 アルクェイドは、人差し指を頬にあて、考え込むような仕草をする。 「そう、そこの電柱の上で気配を消して、登場のタイミングを謀っている専門の先生が解説してくれるんじゃないかしら?」 その指を、くっと曲げ、右横を指す。 「?」 そちらへ向いた俺と、その先に居た彼女の目があった。 電柱の天辺の黒い法衣。 袖から出しかけた黒鍵。――硬直する四肢。 ――気まずい―― 見る見るうちに、相手の顔が赤くなるのが遠目でも判る。 出しかけた黒鍵をしまい直すと、先輩は電柱から飛びおり、こちらへ肩を怒らせながら歩いて来る。 距離があると、行動がよく見える。 ちょっと間抜け。 「なんて事しやがるんですかー! このアーパー吸血鬼ぃー! 貴方には人の思いやりとかってものがないんですか―――――!!」 「えー。だって私、人間なんかじゃないしー」 怒り心頭、烈火の魔神の如きシエル先輩に対し、アルクェイドは悪びれもせずに答える。 「ちょ、ちょっと待て二人とも!!」 慌てて俺は二人を止める。 そのまま二人をさらに路地の奥に押し込む! ……人の気配は近づかない。 どうやら警官隊には気づかれなかった様子だ。 「し、志貴ってば、大胆……」 「と、遠野くん。……せめてベッドの上で……」 二人の声で、見下ろしてみれば、ものの見事に二人まとめて俺が押し倒した構図になっていた。 「―――――!」 俺は、声も出せずに跳び下がる! 「あ、違うの? 残念」 「まー私はいくら遠野くんと一緒でも、獣姦3(Piii(検閲))なんて趣味はありませんけどね」 「なによー。私の事ー?」 「じゅ、獣って……」 「ほら、人間なんかじゃないんですよね?」 「あー、シエルこそくー、ひきょうー、あげあしとり魔ー!」 「ちょっと待てって! で、二人揃ってここに居るってどう言う事なんだ?」 「……ふむ……ではここで、知得留先生の課外授業と行きましょうか?」 どこからともなく取り出した白いタクトを右手に、眼鏡を左手で掛けながら、先輩は言う。 「ボンジュール。皆さん、準備はよろしいですか?」 「のうがきは良いから、はやく始めるにゃー」 ……って、あぁ! アルクェイドの方はと言えば、本当に獣になってるし! 「さて、一回でも吸血鬼に蝕まれた街は、その大元の吸血鬼を倒した後、その影響の浄化が一番大変で大事で時間が懸かる事……この事は以前にもお話し致しましたね? 今回はまれなケースですが、この吸血鬼の影響に該当します」 「まれなケースって?」 「ここの暴力団は薬物を精製する器材を、この本社ビル内に所有しており、特殊な薬物を精製しているのです。どこでその薬物が最初に造られたのかは、今をもって判明しませんが“不敗の魂”―――そう呼ばれているそうです」 「不敗の魂?」 「どんな打撃にも、銃撃にも、倒れず、身体のあるかぎり目標にたどり着き、相手を殺す。そんな能力は暴力団の鉄砲玉にはうってつけでしょう? そんな人間を作り出す薬物です」 「そんな―――、それじゃまるで……」 「私みたいな吸血鬼、それとも死徒か死者か」 「内偵は進めていましたが、確信したのは先日の機動隊との武力衝突です。催涙ガス弾やスタン弾では効果無く、一部の警官がはやり、強度の打撃や発泡を行ないましたが、彼らは意に介さず、前進を止めませんでした。今、存在を確認できたのはこの町でだけです。他の結社や軍用に転化される前に、何としても消去しなければなりません」 「と、言う訳よ。どう、あいつらが並みの相手では無いって理解して貰えた?」 凛々しい吸血姫の顔に戻ったアルクェイドが言う。 「あ、こら! 締めの言葉を横取りしやがるんじゃありません!」 「それで、先輩達はどうするつもりだったんだ?」 「決まっています! そんな不埒な輩はビルごと浄化です!」 「まー、同じ様な事かな。……それでね、志貴? 私としては、ちょっと手伝って貰えちゃったりすると嬉しいんだけどなー?」 「な! 何を言い出しますですか?! 遠野くんを、そんな危険な場所に―――」 「ほっといても行っちゃうでしょ? だったら一緒の方が何かあっても対応できるし、私たちが対処し辛い相手でも、志貴なら何とかできるケースが多いしね」 「あ――う――く―……?!」 「行くよ。行かせてもらう!」 「と! 遠野くん?!」 ころりと笑うアルクェイド。驚愕のシエル先輩。二人はいつも両極端だ。 「確かに、皆で協力した方が、確実に目的を達成できると思う」 「そーそー、そうこなくちゃ。皆で一緒の方がきっと良いよ」 「はー……、まったくしかたありませんね」 先輩の台詞。 それで決まりだった。 § § § § § ドガグシャァァァァッ!! 派手な炸裂音が、静かな町並みに木霊する! アルクェイドが空想具現化した、風の鎌が怒濤の様にビルの出入り口に襲いかかった轟音だった。 辺りに人気はない。 この場に居た警官は、アルクェイドが魔眼をもって魅了。 立ち去らせたその後に、先輩が人払いの結界を組んだ。 空気が違う。 ここは―――すでに魔の世界。 しかし――――― 「おまえ、やりすぎ」 ぽかりとブロンドの頭を軽く叩く。 結果を見て自覚しているのか、あははーと舌を少し出して、困った様に笑っている。 「まったくです。これだから大破壊悪神的吸血物体は、人間社会から排除しなければならないのです」 あきれた口調で、跡形もなく砕かれえぐり取られたビルの出入り口を見て、シエル先輩が言う。 「むー、そこまで言わなくても良いじゃない」 「とりあえず、隊列を決めましょう。私が先頭、遠野くんが中央、アルクェイドが後方で」 「良いんじゃない? 志貴がいつでも見れるから、私は問題ないよ」 「な、なんだかなぁ〜」 「では―――」 シエル先輩が法衣の前で手を合わせると次の瞬間には、無数の黒鍵がその手に握られている。 その広がる様は、黒い羽根の様に。 「――行きます!」 先輩が、前進を始める。 遅れまいと俺が急ぎ、その後を楽しげにアルクェイド続く。 まるで、これから始まる戦いを象徴するかのように、夕暮れ時の太陽は、街を紅く染めていた。 § § § § § ―――――ただ、圧倒的だった。 アルクェイドが瓦礫の山を腕の一振りではね飛ばし、ビルの中に突入したが…… 「おうおうおう! ここは…」 「邪魔です」 最初の一人が何か言い掛けたところで、シエル先輩にやって来た方へ、無下に投げ飛ばされる。 そのうちやつらは銃を持ち出してきたが、その銃弾はアルクェイドが具現化する防護結界の前にまったくの無力だった。 それでも――― 「兄貴ぃ?! チャカが効かねぇよぉ?!」 「えぇい! ライフル、ショットガン! ありったけ持って来い! それから兵も…」 「で、でも兄貴?! あれは…」 通路の先、曲がり角の向こうで陣取っている、構成員の声がする。 「…銃器を集めて一斉射撃するつもりでしょうかね? でも」 おもむろに先輩が、黒鍵をたばね持った腕を振る。 刹那、わずかな時間差でもって放たれた黒鍵が連なり、蛇がうねる様な不可思議な湾曲軌道を描いて通路の奥へ、曲り角の向こうへ飛び込んで行く! 「…これはおまけです」 響いてきた無数の悲鳴が静かになるのも待たず、すぐ隣にあったドアへ黒鍵を一本叩き込む。 ……黒鍵が貫通した衝撃で、軋みながら開いたドアの向こう部屋の奥には、股下に刺さった黒鍵で壁に縫い付けられ、泡を吹いて気絶しているチンピラの姿があった。 ただ、圧倒的だった。 当然だ。 二人とも“世界”の影響を受ける、もしくは受けていた存在。 普通の人間なんかじゃ、話しにならない。 だが―――! ガラガラガラ! 何か重量物を転がす音が聞こえる。 俺達の前に、台車付きの巨大な、通路いっぱいの檻が押し出されてくる。 「よし! 扉を開けろ! やつらへ向けてけしかけるんだ!!」 遠隔操作か、かすかに軋みながら檻が開いていく。 うぉ……あぁ…… 呻き声の様なものが聞こえる。 ゆっくり、まるでスローモーションの様に、人影が三つ、暗い奥から歩み出てくる。 まるで、闇を這いずるものの様に。 その姿は、まだ若い男の様子であった。 痛んではいるが、明るい色のカジュアルな衣服。 もとはそれなりに整えてあったのかもしれないが、今はぼさぼさになった茶色い髪。 深夜の歓楽街、盛り場の裏路地、そんな所どこででも見る若者達。 だが、その何かを捜し求めるかの様に、周囲を窺うその眼光は、異質だった。 腐れた様に濁る瞳。 唸る口元。 ―――眼が、合った。 顔面の造形が壊れるかのような、凄絶で異様な、笑み。 ゆっくり、ゆっくり、こちらへ歩んでくる。 「か、彼らが…?」 呻く様にシエル先輩が呟き、威嚇の黒鍵を放つ。 が、すぐ足元に突き立ち、また頬をかすめて飛ぶそれをまったく意に介さず、その歩みは止まらない。 アルクェイドが何かに気付いたのか、その口から言葉が漏れる。 「……この、存在の感触は……」 それが、きっかけになったのか、突如! ぅうぅるぉぉぉ! おおおぉぉぉお! 獣のように、口元を裂けさせる程に顎を開き、吠え――― 銃弾の様な勢いで、一人が駆け込んでくる! ギキーン! 先輩が交差させた黒鍵で彼を止めた。 が、火花を散らすほどの衝撃を受けてか、その腕はひどく震えている。 交差した黒鍵の隙間から、彼がその顔を押し込もうとする。 濁り淀んだ眼光。 すべて裂けよとばかりに開かれた顎。 そこから伸びる―――長い―――牙。 「吸血鬼?!」 アルクェイドとシエル先輩の声が重なる。 ―――そして 俺は、 魔眼殺しを、 外した。 状況を確認。 軽く周囲を見回す。 壁や床の“線”が視界に映る。 新しいビルらしく、比較的少ない。が、俺達の後方のそれは数が増えている。 先ほどの衝撃か、アルクェイドが力を多少なりとも解放しながら来た為か、人工物のビルは影響を受けている様だ。 味方は三人。 眼前の対象は三体。 味方側二人の“線”は極端に少ない。 だが、対象は三体とも全身を黒く覆うほどに、“線”に埋め尽くされている。 その中には“点”すらも既に見えていた。 あの日、あの時、見た光景。 頭蓋の奥が、かすかに痛む。 「……こいつらは、死者だ」 断定し、伝達。 「ひゃ〜ははっはぁ!! 無駄だぜ?!無駄!! こいつらをまともに止められるヤツなんか居るものかよぉ?! こいつらを処分する時ゃ、オレらも火炎放射器総動員でよ? 苦労すんだぜぇ?!」 通路の奥、檻の向こうから声が聞こえる。 だが、その声にはまるで興味無い、そんな感じでアルクェイドが志貴に言葉を返す。 「ふ〜ん、志貴がそう言うって事は、もう手遅れって事かな?」 「彼らは既に人間ではない」 「そっか。とりあえず……」 ごそり。 次の一瞬。 瞬きの刹那。 奥に居た二体が消えた。 時を同じくして周囲の壁、床、天井が大きく深く抉り取られ、頑強な檻もその形状を大きく崩していた。 ほんの一瞬の、真空の刃の竜巻。 「あれ? うーん、今度は上手く手加減出来るかなーと思ったんだけどな」 どこか陽気なアルクェイドの声。 少し遅れ、檻が砕けて崩れ落ちる。 ―――その向こうには、驚愕に顔を歪めきった男たちが立っていた。 「な、何だ?! 何が起きたってんだ?!」 「じ、地震でも?!」 男達の混乱は静まらない。 「あのヤク漬けのガキ共はどこへ行った?!」 ……俺は、懐からナイフを取り出し、切っ先を展開。 手に馴染むよう、くるりと一回転、柄をつかみ直す。 「あ、兄貴ぃ? 見て下せぇ! アイツあんな小さなナイフで、やりあう気ですぜ?」 「は、はは! ば、バカなヤツだぜ」 遠くの雑魚が吠えている。 「先輩」 残る目標を見定めて、指示を出す。 「な、何ですか。遠野くん!」 目標は先輩の黒鍵を掴み、こじ開けようとしている。 「あと、2.5cm黒鍵の間隔を広げて下さい」 そこには――― 「解りました!」 すぐに察したか、交差した黒鍵の切っ先が、わずかに開く。 こつん 小石が当たったかのような、小さな軽い音。 それが、その“彼”の聞いた最後の音だった。 「……な、なんだ? アイツ何しやがったんだ?!」 「し、知らねっスよ! あんな、ちっぽけなナイフで刺しただけなのに」 「は、ははは、灰になって、消えちまった……」 「…ぅう、うわああああぁぁぁぁ! 消されたくなんかねぇぇぇ!」 「まま待てぇ! 逃げるんじゃねぇぇ!!」 統制を失った男たちが、散り散りに逃走して行く。 俺は眼鏡を掛け直した。 あとは――― § § § § § 「…やってくれたな…兄ちゃん…」 ビルの最上階。 渋い木目も年代を感じさせる、マホガニーの重厚な扉を開けて中に入った俺達を、先ほどのチンピラとは違う雰囲気の男たちが待っていた。 周囲壁際に静かに立つ、揃いのダークスーツに表情を隠すレイバンを付けた男達。 続きの部屋もあるのか、壁には複数の扉がある。 天井は高く、照明も豪華なシャンデリアが並ぶ広い空間。 高価そうな調度品の置かれた、その部屋の中央置くには、広いテーブル。 その向こうに、一際強い威圧感を放つ、壮年の男がソファーに座っていた。 「このヤクが目的かよ?」 その男は、懐から透明な薬瓶を取り出し、テーブルの上に置く。 中には、乾いた血で汚れた様な色の、褐色の錠剤。 「これが“不敗の魂”だ」 それを見て、先輩が詰問する。 「あの、彼らを変えたのが、その薬ですか? あの効果は、人の身には過ぎるものです。一体どこから入手したのですか?!」 「……さてなぁ。俺らも街で、ガキ共が持っていたのを巻き上げたのが最初のブツだったからよ?」 壮年の男はおどけた様に話す。 「ふーん、じゃ、ここを何とかしてしまえば、良いだけだ?」 アルクェイドも笑って答える。 「イイ気になってンじゃねーゾ!!」 アルクェイドのもの言いが癇に触ったのか、突然真っ赤に激怒して叫ぶ。 「俺らは極道よ! 利用できるもの、使えるものなら何だってやるぜ!! …オイ!!」 その呼び声に応じて、奥の扉の一つが開く。 男が、見慣れた制服姿の女の子を引きずって部屋に入ってくる。 「ゆ、弓塚?!」 「遠野くん?!」 「ん〜〜〜、感動のご対面てヤツだ。だけどよぉ。分かってんな? 変なマネしてみやがれ? この娘の安全は保証しないぜ? おお?! もうそこから何もするんじゃねぇぜ?」 や、やばい! アルクェイドはきょとんとしている。 シエル先輩も無関心な様に表情を変えない。 二人とも人質が有効な方ではない。ましてやその人質が、弓塚ともなれば――――― 俺は、二人が何か言うより先に、二人の前に進み出た。 「分かった! だから弓塚は……」 ドガ!! はね飛ばされて、すぐ後ろに居たアルクェイドに支えられる。 「し、志貴?! 何してるのよ?!」 「志貴くん!!」 首を掴まれナイフを突きつけられた、弓塚が叫ぶ。 鼻の奥がきな臭い。 俺の前にはスーツ姿の男が拳を固めて立っていた。 殴られた、のか? 「組長は何もするなと言われた。理解できなかった様子だな」 その男の向こうで、組長と呼ばれた男が薄ら笑いを浮かべている。 「解ったか? 何もするな、何も話すな、抵抗するな。おまえ達は後はそこでただ殴られていろ。もう沈んだ太陽を、テメェラが朝を迎えて仰ぎ見ることは、もはや無い」 勝利を確信したのか、腹立たしいほどの余裕を見せて、組長が言う。 「何よー。志貴、あんな女ほっといて、アイツやっちゃえば良いじゃない?」 「そういう訳にも行きません。彼女は遠野くんの同級生です。が……」 「……ごめん、俺の……勝手で……」 「遠野くんが優しすぎるのは、今に始まったことじゃありませんし」 組長を睨み付け、小声で会話する。 そんな俺達の耳に、今まで酷く脅えていたのが嘘の様な、リラックスした弓塚の声が届いた。 「――――――ふーん、そっか。もう……夜に、なってたんだ――――――」 ぎしぃ…… 今、大気が歪んだ。 「止めなさい! あなた、何をする気か解っているの?!」 それが何を意味するのか、逸早く察したシエル先輩が叫ぶ。 「―――――大丈夫。志貴くんが居るんだもん。もし、私が自分を止められなくなっちゃっても、志貴くんなら何とかしてくれる―――――」 顔を伏せた弓塚は、何か隠す様に視線を上げず、話を続ける。 「―――――それに、見ちゃったから、この人達がどんなひどい事を乾くんにしたか。私のせいで志貴くんにまで、そんな事には―――――させない!」 「テメェら! 何話してやがる――――― ゴ! 弓塚を中心に、風が―――――捲いた。 一転、静まり返った部屋の中。 弓塚を押えている男が、震えた声をあげる。 「……わ、若頭ぁ……こ、こここの女……く、くちぃから、き 牙!」 弓塚が、ゆっくりと、顔を上げながら、後ろの男の顔を流し見る。 その流れて行く瞳の輝きは、鮮血の様な―――――紅の色。 「ひぃぃぃあああぁぁぁぁぁ!!」 男は弓塚を押えていた腕を離して、下がろうとするが―――動かない。 その腕は、弓塚の右腕一本で押さえられていた。 「―――とても、怖かったんだよ?」 静かに笑い、その男に言う。 「―――――!」 肺腑の空気を出しきったのか、男の喉は、震えるばかりで声にならない。 弓塚は、その腕を引きおろすと、男の背中へと腕を捻り上げる。 その腕をつかんだまま、男の腰のベルトに指を掛けると、ふわり、軽々と男を頭上に持ち上げた。 「ほら、高い高〜い」 身の軽そうな小娘が、倍以上の体重はあろうかという屈強の男を、まるでぬいぐるみで遊んでいるかの様に弄ぶその光景に、周囲の男たちは愕然と……ただ呆然と見ていた。 「えい!」 くるり一回り勢いをつけて、組長のテーブルへ放り投げる! 「うおぁああああぁぁぁ?!」 慌てて組長は、ソファーを蹴倒して逃げ出す。 バキャドシャ―――――!! テーブルは砕け、破片は部屋中に飛散。 埃が濛々と立ち上り、空調の風によってか、床面を流れる。 その流れ蠢く白い影の向こうに―――――紅い瞳が、妖しく輝く。 弓塚さつきが立っていた。 持って生まれた吸血鬼の資質。 偶然に受けた、四季の牙。 古くから遠野の血統が棲み、真祖、死徒、異端審問官――――― ……様々な超常能力を持つものが、この土地に集い、霊圧の高まった大気。 そしてさつきは、複雑に要因が絡み合い、結果―――吸血種となっていた。 人の中から偶発的に発生した吸血種、ナチュラル・ボーン・ヴァンパイア。 それが、今の さつき だ。 「弓塚! お前のからだは、まだ―――!」 あせった俺が叫ぶが。 「大丈夫。夜なら、能力全般が強くなるみたいだから、衝動もだいぶ押さえられるよ」 その場には不似合いな程にやわらかな微笑みで、俺の言葉を、不安を遮るように、静かな口調で答える。 「でも―――!」 「遠野くん」 さらに言い募ろうとした俺を、先輩が止める。 「今は問題を解決する事が先決です」 冷静な状況判断。経験豊富な戦闘者。 あ―――、そうだ。早く終わらせる事。 それが一番――――― 「ねー? もーやっちゃって良い?」 アルクェイドが、おもちゃを目の前にした小猫の様に、うずうずと問い掛けて来る。 「あぁ、でも相手は人間だ。殺したりなんかするなよ」 「分かってるわよー」 「行きます」 「頑張るね。志貴くん」 壁際に逃げていた組長が、俺たちの会話を聞いて激昂する。 「テメェラ! 極道をナメンじゃねぇぞ! 容赦すんな! 徹底的にバラしちまえぇっ!!」 並んでいたスーツの男たちがその声に答えるように、一斉に懐から、背後から、銃器を構え出す! 室内に響く、無数の無骨な金属音。 だが―――――! ドガドガドガドガドガドガドガ!! その金属音がすぐに衝撃音にかわる。 「遅いです」 銃を取り出し、安全装置を解除しつつ構え、照準――― そんな動作より、シエル先輩の黒鍵の方が、絶対的に早い。 腕を振る。 ただそれだけで、次々と拳銃やライフルが、弾き飛ばされ、砕き壊され、無力化されて行く。 「……な、何だ……?」 腕自慢の男たちが、拳を、ドスを、刀を構えて飛び込んで来るが…… さつきの脚の一回し、アルクェイドの腕の一薙ぎで、吹き飛ばされて行く。 「何なんだっ?! テメェラはぁぁぁっ?!」 壁際で、腰砕けてしゃがみ込んだ、組長が叫ぶ。 「借りモノを返しに来ただけだ」 「は、はは、は……そ、そうかよ…… だがなぁ! テメェラ、餓鬼ごときにぃ!!」 叫んだ組長は、握り締めていた薬瓶の蓋を、砕き開ける! 「組長?! そのヤクはっ?!」 先程、若頭と呼ばれていた男が叫ぶ、が――― 意に介さず、組長は薬瓶の中の錠剤全てを一息に飲み干した。 「な―――――?!」 その場に居た、意識ある者全てが息を、呑んだ。 ヒト ノ カタチ ガ コワレテ イク 突如として膨張していく肉体―――――それはもはや肉塊としか呼べぬような、蛋白質の集合体。 薄汚れた褐色の蠢くナニカ。 テラテラと滑り光を反射する粘液を分泌する表面には、血管か神経なのか、白い筋が縦横に走り、脈動して踊る。 ずるり びたり ずるずる びたり その表面から、蛇か蚯蚓の如き赤い触手が無数に生えて来る。 触手が這いずった跡は、まるで存在を染め変えるかの様に、褐色に濡れている。 ……どこからか、くぐもった声が聞こえる。 「……オレノ イノチ ハ オレ ノ モノ ダ……」 警戒し、周囲を見回す。 「……オマエ ノ イノチ モ オレ ノ モノ ダ……」 皆の視線は、やはり、あの肉塊に集中する。 「……コロシキレル モノ ナラ コロシテ ミロォォォッ!!」 ジャラアァァァッ!! 瞬間! 無数の触手が、四方へ伸びる!! 「「「うぎゃぁぁぁぁっ!!!」」」 ダークスーツの男たちが、次々に捕らえられ、肉塊の中に引き込まれる! 「「「ひぃぃぃ!ぎゃぁあぁうぅ…ぷぉ…ぅごぉ……!」」」 次から、次へと。 「くぅっ?!」 俺は、眼鏡を外してヤツを見定める。 「させません!」 シエル先輩が、黒鍵を束ね投擲する! バシュブシュザシュゥ! 次々と黒鍵は肉塊に突き刺さり、真っ赤な血が噴水の様に吹き出す。 が、それは一瞬。 見てるうちに、黒鍵は内側から押し出され、弾き出される。 吹き上げていた血は、いつの間にか新しい触手になっていた。 「そ、そんな?! このアーパーの他に効かないモノがあるなんて?!」 その光景に驚いている、先輩。 だが、俺にはその時見えていた。 黒鍵が突き刺さった時、肉塊に見えていた“点”が幾つか消えた。 それは、命の終わりを意味する。 ―――そう、今、ヤツには幾つもの“点”が見える。 ヤツは、自分の部下を取り込んで、その命を共融しているのだ。 かって一人の死徒に、似た光景を見た事がある。 ジャララァァァァァ!! 今度は、触手が俺達を捕らえようと、鋭く幾つも伸びて来る! 「きゃー!きゃー!きゃー!」 騒がしくも飛び跳ねながら、アルクェイドとさつきが避ける。 ……さつきは必死だが、アルクェイドはどこか楽しそうだ。 ギャリリ! シエル先輩は、黒鍵で迫る触手を弾き逸らしている。無駄な動きはしない、戦い慣れした隙のない体勢。 俺は、触手の発生点から飛来軌道を予測。とくに避ける事は問題ない。 ……だが、触手の数は多く、本体に近づき難い。 狙いを外した触手は、壁に突き刺さり、調度品を砕き、床の絨毯を紙の様に裂いていく。 その嵐の様な攻撃が止む気配は、微塵もない。 「……アルクェイド。ヤツの動きを、少しで良いから止められないか?」 「? どうする気? 志貴」 「ヤツは、ネロ・カオスと良く似ている。複数の命を混然とする事で、高い不死性を獲得している。ヤツを倒すには、あの形態をとらせている物、大元の“点”を突く必要がある」 「そっか、やってみるね」 その言葉も言い終わらないうちに、ヤツの本体が、潰れるように歪む。 本体近くから、触手も次々と床に叩き付けられる様に、落ちて行く。 「どう? ちょっとアイツの周囲だけ、重力を強くしてみたよ?」 「上出来だ」 俺はヤツに向かい駆け出す。 テーブルの残骸を足場に、跳躍。 目標の天井に反転し着地、脚力を加え、降下。 途中からは、アルクェイドの増加させた重力も加え、さらに加速を――― その時! 眼下の肉塊から生えていた触手の形態が変化した。 「―― コロス コロス コロス コロス コロス ――」 床を這いずっていた無数の触手が跳ね上がり、本体から屹立する無数の赤い巨大な棘に変わる! 「遠野くん?!」「志貴?!」「志貴くん」 皆の悲鳴が木霊し、アルクェイドの重力結界が一瞬緩む。 俺は落下途中で脚を回し、遠心力を発生。 さらに棘の側面を弾いて軌道を変える。 人の身ではあるが、ある程度は空中でも軌道は制御できる。 俺はヤツの脇に着地すると、体勢を立て直すべく、ヤツから跳び下がる。 ―――と、そこへ重力が弱まったのを見透かしてか、いくつか触手が鋭く伸びて来る! 「志貴!」 アルクェイドが、範囲を広げて再び重力結界を展開する。 また、床に叩き付けられる触手。 だが――― ミシリ…… バキバキバキ!! 何かが軋む音がしたかと思うのも束の間、天井に次々に亀裂が走る! 既にこれまでの戦闘で傷んでいた構造物が、今の重力衝撃に堪え切れず、ついに崩壊を始めたのだ。 次々に砕けて墜ちて来る、コンクリートと鉄骨。 さすがに、この数と質量は―――――! ザァァァァァ――――― 紅い、蜘蛛の糸のような細い物が、視界全体を一気に埋める。 気が付けば、風が激しく流れていた。 カシャ パサ クシャ …… 砕けたコンクリートの塊が、まるで砂細工が崩れるように、風に流され消えて行く。 周囲の体感気温も急速に降下。 俺はこの結界をよく知っている。 誰よりも――― 固有結界「檻髪」 視界内の目標物体の熱量等を略奪し、その“存在”を崩壊させる。 遠野の血統の 力。 ババババババババババ 天井は崩れさり、跡形も無い。 夜空に星が瞬くのがよく見える。 ヘリコプターが飛んでいる。ローターの風切り音が、周囲に響き、激しく大気をかき回す。 崩れかけたビルの構造物。 暗い夜空へと屹立するかの様に残る鉄骨、その上に――――― 蒼い瞳の少女の姿が浮かび上がる。 ヘリコプターのサーチライトに照らし出されて。 激しい風になびく長い髪は、真紅に輝く様に、夜空に映える。 「……何がちょっと帰りが遅くなる、ですか? 一体、こんな所で何をしていらっしゃるんです? 兄さん」 妹の 秋葉 だ。 遠野の力を、全開に発現させている。 腕を組み見下ろして、睨むように俺を見つめて来る。 「悪かった。これほどの相手になるとは、正直思っていなかった」 「あーもぅ! まったくしょうが無いですね! 兄さんは! 大体は琥珀から聞きました。お独りで本部事務所に乗り込もうなんて、考え無しにも程があります」 秋葉は組んでいた腕をほどき腰にあてると、あきれた様に言葉を続ける。 「今回は、たまたま泥棒猫と性悪先輩が突入前に合流できたみたいですが……」 「泥棒猫ってなによー」「秋葉さん、相変わらず口が悪いですねー」 「……暴力団と言うのは、大概様々な裏の道に通じています。考え無しに突入して、後でどんな事になるか、想像できないんですか?!」 突然始まった秋葉の尋問に、すこし狼狽えながらもさつきが口を挟む。 「……あ、あの、それより……あれ」 弓塚が指差した先に、全員の視線が集中する。 ガラガラガラ…… 瓦礫を押しのけて、ヤツが姿を現した。 褐色の本体、赤い無数の棘と、無気味に蠢く触手。 ずるり ぺたり ずるり ぺたり ゆっくりと、這い出して来る。 「秋葉」 俺は真っ直ぐに秋葉の瞳を見つめる。 「な、何ですか、兄さん?」 少し意を削がれたように、秋葉は返事をする。 「悪いが、少し手伝って貰えないか? お前の力が必要だ」 何故か戸惑う様な、秋葉の表情。 離れている為、顔色までは伺えないが…… 「……わ、分かりました。すす少しだけですよ!」 「ありがとう」 心からの礼を言う。 すると、鉄骨の上で秋葉が身体のバランスを崩している。 大丈夫か? ……と、振り向けば、アルクェイド、シエル先輩、弓塚が並んでいた。 皆、拗ねた顔をしている。 「ど、どうした?」 「志貴、妹ばっかりズルイー」 「遠野くんは、本当に秋葉さんには甘いんですね〜」 「志貴くん……シスコンって不潔だと思う」 三人並んで睨んで来る…… 「あー……いや、そうだ! これが終わったら、屋敷に来るかい? 皆にも俺の我が侭で迷惑掛けちゃったみたいだし、食事ぐらい一緒に……」 「さて頑張ろうか! シエル!」 「貴方には料理の美味しさなんて判らないんじゃないですか?」 「し、志貴くんと一緒にお屋敷でお食事……」 三人揃って反転180° 皆で、ヤツと相対する。 「基本的には先程と同じだ」 皆に行動内容を伝える。 「アルクェイドがヤツ本体の動きを封じ、俺が上方から攻撃。秋葉には俺の前に突き立って来る棘を潰し、先輩は触手を射止めといてほしい。弓塚には俺がより高く跳べる様、手伝ってほしいんだ」 「そこまでしないといけないんですか」 先輩が質問を投げかけて来る。 「ヤツの本体の“点”は表層に出ていないんだ、少し体内に入った所にある。だから、どうしても“点”を突くのに勢いが必要だ」 「始めるよー!」 アルクェイドの声、それが、合図になった。 ズゴ! 突如、今また強力になった重力に抗しきれず、瓦礫の中にヤツが埋もれ出す。 逸早く、先輩が上方に向かい黒鍵を無数に投げ上げる。 俺はヤツに向かい走り出す。その前に弓塚が居る。 弓塚が俺に向いてしゃがみ、手を組んで下げる。 その手に俺は脚を掛け 「飛んでけ―――――!」 弓塚が俺の身体を跳ね上げる! 景色が流れる。 渓流の川面に映る風景の様に、形を崩し、下方へ―――――早く。 先の天井での蹴り脚が無い分を補填する為とは言え、高い。 高層ビル上での跳躍なのだから、当然か――― 見上げれば、空に星。 見渡せば、人の息づく町の灯。 束の間の空中遊泳。 この町は、こんなにも人が居て、明るい。 ここが、俺達の―――――大事な町だ! 降下が始まる。 その加速で周囲の景色はボヤけ視野は狭まり、直下の目標だけが眼に映る。 よく見ろ! 俺が見るべきモノを! 頭蓋の奥が激しく軋み、細胞が、神経が、俺のイノチが悲鳴を上げる。 しかし、それでも――――― 迫る俺に、重力に負けじとヤツは触手を伸ばして来る。 だが、俺よりさらに上方から飛来する黒鍵。 先に先輩が投げ上げたそれが、さらなる速度と威力をもって、ヤツに向かって降りそそぎ、触手を本体を縫い付けていく。 「―――コロス コロス コロス コロシテヤルゾ シキィィィ―――」 ヤツのくぐもった言葉が聞こえ、無数の棘が俺を串刺しにせんと、並び立つ。 しかしそれすらも 「兄さんには傷一つたりとも付けさせません!」 秋葉の“略奪”により、次々と崩壊していく。 「これで終わりだ―――――!!」 「―――ウォォォォォ―――!!」 俺とヤツの声が重なり、澄んだ夜空に遠く響く。 ばさり 何かが崩れる音がする。 褐色の塊が、次第にその形質を失っていく。 変わらず吹き荒れる、ローターの乱気流。 徐々のその崩壊の速度は上がり、灰になって風に流れていく。 俺は崩れていく、その“ヤツ”だったものから降りると、皆の所へゆっくりと歩き戻っていった。 ばさりばさり 「……う……が……」「い、ててて」「あぁああ」 その中から、幾つかうめき声が聞こえる。 俺が突いたのは、人間を変異させる薬物の“点”だ。 まだ、残っていた命には別状は無かったのだろう。 それは、その中で“若頭”と呼ばれていた男の前に立つ。 「ぐ……何の用だ、小僧」 さすがに、スーツもボロボロになっている。 「これだけの事をして、ただで済むと……」 ピリリリ と、その時、志貴の後ろで携帯の受信音がする。 「はい? ……あぁ、琥珀?」 電話は、琥珀さんから秋葉に掛かって来たものの様だ。 「……そう、話はついたの? じゃぁ後の取り計らいはお願い」 短い電話は、そう締めくくられて終わった。 秋葉は携帯を懐にしまいながら、志貴の右隣に歩み出て来る。 ヘリコプターのライトが周囲を明るく照らし出している。 「上部組織の後援を期待しているなら、残念ね。たった今、貴方達の組織は、グループから除名されたわ」 「な、何だと?!」 男は、驚愕の声をだし腰を上げる。 「遠野財閥の影響力を、甘く見ないでほしいわね」 「遠野……はは、アンタが噂の、遠野の現当主様かい」 「遠野 秋葉。……貴方と顔を合せるのは、これが最初で最後でしょうけどね」 「だがな、当主様。 さすがのアンタらでも、これだけの騒ぎなら……」 「警察関係なら、とっくに手を回していますよ?」 先輩が、秋葉とは逆に俺の左隣に立っていた。 「だいだい、最初の機動隊にあっさり引き下がって頂いたのも、死者に吸血されて被害が広がるのを防ぐ為ですしねぇ」 小意地悪そ気に微笑んでいる。 「はは、は……完敗だぜ、小僧」 再び腰を落した男に、俺は宣言した。 「このビルは、これから消える。5分以内に退去しろ」 「分かった」 ゆっくりと立ち上がり、男は、他に床に転がる構成員達を蹴起こして行く。 § § § § § 人気の乏しくなり、五人だけになった、瓦礫と屑ばかりになったフロア。 「……うっく」 突然、弓塚が膝を落す。 「弓塚?!」 すぐに志貴が助け起こす。 「ご、ごめん。志貴くん……も、もう限界み……」 「はい」 悲痛な顔で向かい合う、志貴と弓塚の顔の間に差し込まれた赤い袋。 それを手にしているのは、秋葉だった。 「あ、えと、秋葉?」 「吸血衝動が、そろそろ限界なんでしょう? こんな事もあろうかと、と言って琥珀が持たせてくれたのよ」 見れば、少々憮然な顔をしながらも、弓塚は差し出された赤い袋“献血パック”をストローでチューと飲み始めていた。 弓塚は、普段はその全能力を使い吸血衝動を押え、人間として暮らしている。 アルクェイドの様には、日中でも能力を発揮したりは出来ないし、時々衝動を押えきれなくなってしまうが、それは秋葉と同じ様に誤魔化しているそうだ。 今回は、先に吸血種の能力を行使した為、衝動が発露したのだろう。 向こうでは、アルクェイドとシエル先輩が苦笑している。 「さすが、と言うか……」 「琥珀さん、全てお見通しなんですねぇ」 「さぁ用事は済んだ筈です。帰りましょう、兄さん」 そう言って、秋葉は携帯を取り出し、頭上のヘリコプターと連絡を取り出す。 そんな皆をながめながら、俺はちょっと悩み事を抱えていた。 さっき約束した言葉。 『 皆で一緒に屋敷で食事でも――――― 』 どうやって、秋葉に頼もうか? 素直に秋葉が了承してくれるとも思えないが――――― でもきっと、今日は皆で食べる食事は楽しく美味しいと、心からそう思う。
§ § § § § ● あとがき ● うわぁぁぁぁ! 長くなった!(笑) 私が二次創作始めて、一番の長さになってしまいました。 あぁっと、でもホントに大作なSSはもっと長いですね。 うぅ……自分は、まだまだです。 はじめまして、Qさんと申します。 えと、桐月さんのSS祭りは初参加です。 挨拶が遅れてしまい申し訳ないです。 ……あ、今後何かの折りには「Qさんさん」とかでなく「Qさん」で十分スよー。 SS祭りに参加するにあたって…… 「ほのぼのやシリアスは沢山あるだろーしなー、ダークが少数派かな? よし! 俺は毛並みを変えて−バトル物−で行こう!」 ……と、決断して参加応募。 でー、参加分野のアンケートの結果をみたら…… バトル物で参加って1作? 俺だけじゃん?! ぶは?! 緊張―――――! まさか墓穴?! 少なかろうとは思いましたが、参加募集段階で、私の1作だけとはそのアンケート結果を見るまで夢にも思いませんでした(苦笑) シリアス系のSSにバトル物っぽいシーンがあるものもあるかと思いますが……ちょっと緊張してみたり(^^; ところで今回、まー色々冒険したネタがありますが、一番はさっちんですねー。 クラスのアイドル、元気なさっちんも好きだし、ちょっぴり怖い吸血殺姫の悲しげなのも好きだし、どーしよー? とか思ってました。 今後、自分が月姫の二次創作を行なう上で、さっちんをどんなスタイルで書こうかなーと、結構悩んでたのですよー。 読んで頂けたのなら何とな〜く判ると思いますが「死徒としてのさつきはあの時に一度死に、吸血種として自身の身体を再構成、だけどまだちょっと不安定」といった感じで書いております。 後は〜、自分はテーブルトーカーなせいか、こういった熱い燃える系は大好きなんですよねー。 もし、読んでもらった皆さんが、ちょっとでも燃えて楽しめて頂けたなら幸いに思います。 ではまた、いずれ他の機会に★
§ § § § § ● おまけ ● ここは丘の上の遠野の屋敷。 「……もしもし? 秋葉さまですか? 琥珀です」 小袖に割烹着をまとった使用人、琥珀が主人の秋葉に電話を入れていた。 「……はい、秋葉さま。交渉は滞り無く……。はい、問題の組織は除名するとの事でした。……はい、分かりました。では、お食事の準備をしてお帰りをお待ちしております」 チン 軽い音がして、年代物の受話器が台座に置かれる。 「はー、これで一区切りっと。……しかし、参りましたねぇ。昔、四季さまの身体から抽出して、試しに精製してみた人体強化薬。それを確かに何回か、実験しましたが、それが巡り巡って非合法プラントで培養増殖されているなんて……」 琥珀は、頬に手を当ててため息を一つ吐く。 「四季さまの生命力侮りがたし、ですねー。さすが“共融”“不死”“血刀”とか色々能力を発揮していただけありますねー。でも、皆さんで処理して頂けた様子ですから、とりあえず今回は結果オーライでしょうか」 そのまま、その細い指を口元にあてて、考え込むような仕草をする。 「しかし……これはちょっと、色々と再確認しとかないといけませんねー」 気を取り直してか、振り返り、ぱたぱたと歩いていく。 「ま、警戒設備の強化に勤めていて正解でした。皆さんの行動はまる分かりでしたから〜……」 そのまま、廊下の奥―――暗がりの中へ、去って行く。
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