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―――――いつもバカやっていた有彦が、姿を見せなかった数日があった。 そして関わった、強い能力と引き換えに人を吸血鬼化させる薬物。 そんなモノを麻薬として流通させようした、ある組織。 遠野志貴が、アルクェイド、シエル達と共に、その組織のビルを崩壊させてより数日。 一見平和を取り戻しつつも、いつもの様に秋葉が吠え駆ける遠野の屋敷では、事件の後処理に手を回す、琥珀の姿があった。 「―――吸血鬼の残骸狩り、です」 そう言葉を締めくくり、琥珀は今話していた電話の受話器を静かに置いた。 薄暗い、場所。 ふんだんに明かり取りの窓の配置された、遠野の屋敷の居間といえど、影になる場所はある。 そんな、部屋の片隅に配された年代物の洋装の電話器の脇。 琥珀は受話器を置いたその自分の手をあげると、じっと見つめていた。 ドガシャッ!! 「ここに居たのね?! 琥珀っ?!」 ―――と、そこへ髪を真っ赤に振り乱し鬼神般若のごとき形相で、この屋敷の当主 秋葉が扉を蹴破る勢いで飛び込んできた。 「ふ、ふふ……逃がさないわ」 静かに笑うその背後には紅い陽炎。 波打ち流れる長いその髪は、真紅に燃える様。 ここへ来るまでに、一体何があったのか。 静かな足取り。 しかし異常に活性化したその力は、その周囲から既に略奪が始まり、不気味に霧をまとわせる。 「秋葉さま、お話があります」 伏せていた顔を起こし、燐とした視線で、琥珀は秋葉へ呼びかける。 「今更話すことなど何もないわ!」 取り合うつもりの無かった秋葉だが、続く言葉でその歩みを止める。 「……志貴さんの命にも関わる事です」 「どういうことかしら?」 琥珀は、身体の前で合わせた両の袖を皺が出るほどに強く握りしめながら、続ける。 「この三咲町で、吸血鬼化する薬物を流した組織の事件は、まだ終わったわけではありません」 「な、なんですって?!」 |
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残月−Reverse Moon− written by Q−san |
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「ここ数日の調査で、多数の精製された薬物が、まだ下部の売人の手にある事が分かっております」 「な……それじゃ、あの化け物が、この町にまだ眠っているというの?!」 「はい……」 「なんて、事―――」 秋葉は深く考え込むように、その腕を組み視線を落とす。 その髪の色は艶やかな黒色に還り、瞳には冷徹なほどの知性の輝き。 「この事を、兄さんには?」 秋葉の問い掛けに、苦笑を交えながら琥珀が答える。 「いえ、まだです。知ったら志貴さん、自分の討ちもらしなら自分の責任だ―――って仰って飛び出して行ってしまいそうですから」 「まったくね……へんな所で責任感が強いんだから」 秋葉はため息も併せ応えて、言葉を続ける。 「でも、その手の事に妙に鋭いのも確か。無茶をさせないためにも、秘密裏に処理したいものだけど……」 秋葉のもらした呟きに、琥珀がポンと一つ拍手で応える。 「それに関しては手をうってあります★」 「……どういう事?」 「この事件はですね、最初に気付いたのはシエルさんでした。そして皆さんで組織の方を潰した後の後処理はわたし達です。志貴さんにとってあの事件に関する情報源は限られてしまうんですよ。普通の事件ではありませんでしたから、真実は一般の報道にも載りませんし」 「そう、先輩やあの性悪化猫の口さえ封じてしまえば良いという訳ね……ふふ……」 「あ、秋葉さま、その言い方はちょっと……えーと、それでシエルさんのツテには先ほど連絡を取りました。この件でアルクェイドさまのフォロー含めてお願いしようと思いまして」 「……相変わらず、こーゆー事は手際が良いわね?」 秋葉は腕を組みながら、ジト眼で琥珀を横睨む。 「いえいえいえいえそんな事ないですよー」 「それに楽しそう」 「あははー。で、それからですね、先ほど志貴さんにバレンタインのチョコを渡す時にも、ちょうど翡翠ちゃんが志貴さん宛てのチョコを作っているのを利用しましてー、寄り道しないで帰ってくる様に仕向けましたし」 「……それがさっきの?」 「どうしても翡翠ちゃんより先に、志貴さんに会わないといけませんでしたからねぇ。あ、そうそう、志貴さんが戻られまして、何か聴いてきてもとぼけちゃって下さい。何でしたらもっともらしい理由をつけて、わたしに振って貰っても良いですし」 楽しそうに次から次へと話し出す琥珀を前に、半ばあきれ顔で秋葉がつぶやいていた。 「まったく、どこまで考えているの?」 「どこまでもですよー★」 ―――じりりん じりりん――― と、その会話へ、ベルの音が割り込む。 つつつと、電話に寄りながら琥珀が秋葉に時間を伝えた。 「そろそろ、秋葉さまもお車に向かわれた方が良いかと。遅れてしまいますよ」 「あ?! そ、そうね詳しい話は帰ってきてから聞くわ」 と、秋葉は急ぎ足で玄関へ向かう。 「あ、今日の夕方の予定は全部キャンセルするわ。各場所に伝えておいて」 最後に扉を出るところで振り返り、そう言って居間から出ていった。 秋葉の足音が遠ざかるのを確認して、琥珀は受話器を手にとった。 「もしもし、お待たせ致しまして申し訳ありません。遠野ですが―――はい、そうです。いつもお手数お掛けしてしまい申し訳ありません、シエルさん」 電話の相手は、今先ほど話に出たシエルだった。 「……と言う訳で、翡翠ちゃんも、志貴さんには内緒にしておいて欲しいの」 陽も傾き出した時刻。 広い屋敷の中で、それぞれの仕事の区切れに休憩とばかりに、琥珀の入れた紅茶を味わっていた一時。 にこやかな声で、琥珀が翡翠に話し掛けていた。 「……うん、志貴さまが危険な事をなさらない様に、と言うのは分かります」 いつも変わらぬ冷静に見える表情で 「でも、他に何を隠してらっしゃるのですか?」 静かに翡翠が問い返してた。 「……え?」 口をつけていたカップから、不意を受けたように琥珀が顔を上げる。 「姉さん、今、顔は笑っているけど、雰囲気が違う。何を考えているの?」 「……そっか、翡翠ちゃんには隠せないなぁ……」 一つため息をついて、琥珀は、静かにカップをソーサーに降ろす。 「でもね。翡翠ちゃん?」 琥珀の問い掛けに、翡翠は小首を傾げる。 「貴方は、志貴さんが本当に心から、望んだ事を止められるかしら?」 その言葉に、翡翠は視線を落とす。 「わ、わたしは……使用人、ですから……」 「だから、ごめんなさい。教えられないの。志貴さんに強く問われたら、翡翠ちゃんは断り切れない。だから今は、翡翠ちゃんも“知らない事”が一番なの」 「……」 静かに、しばしの時が過ぎ――――― 開けられた窓からは、かすかに風に揺られた葉擦れの音が聞こえる。 「さて!」 琥珀が、立った。 「休憩もお終い。そろそろ、秋葉さまが帰られるでしょうから、お迎えの準備をしないと。翡翠ちゃんも志貴さんへの贈り物の準備が残ってるんじゃない?」 「……うん」 未だ、納得はしきれてないのか、普段よりもいくぶん小さな声で翡翠が応じる。 ―――――そして、そのまま夜になった。 深い夜の闇に包まれた屋敷。 屋敷の外は、つい先程まで風が荒れていた。 施錠した窓や鎧戸に異状が無いか確認しながら、暗い廊下を小さな灯で照らし、翡翠は見回りをしていた。 静かに歩みを進めるその表情は、微かに沈んでいた。 ―――――先程の食事の後の団欒。 志貴は秋葉に事件の事を聞いてきたが、口裏を併せていたのか琥珀と二人でその問い掛けはすんなり躱していた。 琥珀をからかう志貴。 そんな志貴を責める秋葉。 気のおけない、騒ぎながらもどこか笑顔の絶えない家族の関係。 ただ、それを見ていた翡翠の表情は曇っていた。 昔は、自分が一番近しかったハズなのに。 だけど、幼い自分がその志貴と遊び回っていた時に、辛い目に遭っていたのは姉。 だけど、昔、あの時、志貴ちゃんが死にそうな時に、何も出来なかったのは自分。 そして、あの時、志貴ちゃんを助けたのは、秋葉さま。 ―――私には、二人ほどに志貴さまの近くに居る資格なんて、無い――― 一人思い悩みながら、歩み進むうちに気が付けば、そこは志貴の部屋の前。 「……志貴……さま……」 小さく呟き、左手をポケットに入れる。 抜き出されたその手には、先程の騒ぎで渡し損ねてしまったチョコレート。 そのまま、音を立てないよう、部屋の主人の眠りを妨げないよう、扉を開ける。 寝台からは、一定した静かな寝息。 窓からの月明りに照らし出されて、蒼くかすかに形見えるその表情は、彫刻の様。 しばらくの間、動く事も忘れていた。 翡翠は、静かに室内に入りそのまま机に向かう。 チョコレートは、机の上に置いた。 ―――――明日の朝、気付いて貰えるだろうか? 振り返り、志貴の寝顔を見つめた翡翠の顔は、そこで久しぶりに和らいだ。 ―――――多分、明日の朝もまた志貴さまは寝坊なさって、お忙しく出て行かれるのだろう。 気づくはずもない。 ―――――それでも、構わないと、翡翠は思う。 自分は、気付かれなくても、影からでも、志貴と皆の、少しでも助けが出来ればそれで良い。 ゆっくりと、寝台に近づく。 灯は、志貴の顔を照らさない様に床に置きそのまま腰を落とすと、空いた右手で志貴の口元にそっと触れる。 その感触は、夜気に冷やされたか、冷めた肌は死人の様。 翡翠も琥珀から聞かされている。 かって志貴は四季に命を共融され、吸い出されていた事を。 8年は、長い。 流れたモノは戻らない。 だから、変わりに何かで補充しなければ生きてはいけない。 それが秋葉からの命の共融であり、琥珀の治療であり、翡翠の感応であり、シエルの魔術であり―――――いくつもの力で、今の志貴は支えられていた。 ―――――かろうじて。 左手で髪が下がらない様に押えると、意を決したように翡翠は静かに顔を降ろして行く。 始めは自ら濡らした舌を細く出して、乾いていた志貴の唇を湿らすように。 そして、ゆっくりとその啄ばむように、互いの口を合わせていく。 長い時間では無い。 程無くして、翡翠は顔を離すとすぐ、部屋を出た。 そのまま閉めた扉に寄りかかると、一人静かに息を吐く。 ―――――そのまま物思いにふけっていた。 気がつくと、夜風はまた荒れ始めていた。 かちり そんな、荒れる風の音と激しい葉擦れの音の中に、小さな金属音が翡翠の耳に届いた。 それは部屋の中から。 慌てて翡翠が部屋に戻ったその目に映ったのは、毛布が除けられ空になった寝台。 窓を見れば、閉められてはいるものの、カーテンは半ば開いていた。 呆然とした翡翠の耳に、今度は廊下から、ぱたぱたと駆ける音が聞こえる。 「ひ、翡翠ちゃん?! 志貴さんは?!」 慌てた様に息を切らせた琥珀が駆け込んで来た。 「……さっきは、ここで寝ていたのに……」 「ちょっと目を離した所で、抜け出してしまったんですね? ……はぁ……警報装置が作動したから、もしやと思って来てみれば……」 乱れた胸元を直した琥珀は、ため息をつきながら振り返る。 「仕方ありませんね。秋葉さまを起こして、とにかく手遅れにならないよう対応しないと」 「……志貴さまがどこへ向かわれたか、姉さんは分かるの?」 琥珀は振り返ると、どこか妖しげに微笑んでいた。 「ふふ―――当然、ですよー」 ―――――コンコン 「秋葉さま? 起きてらっしゃいますか?」 琥珀が、秋葉の部屋の扉を叩くと、意外にはっきりとした返答が帰った。 「起きているわ、琥珀。入りなさい」 その答えが聞くと、琥珀は後ろを振り返る。 翡翠と頷きあった所で、扉を開ける――――― ゴ! 一瞬、妙な手応えを感じたその瞬間、部屋からは激しい凶風が廊下に吹き込んで来た。 「秋葉さま?!」 驚いた琥珀と翡翠が、部屋に入った時。 秋葉は、夜着の姿のまま窓を開け、荒れる風に吹かれるままに夜空を見上げていた。 激しく流れる雲を透かして 夜空高くには、紅い月が映えていた。 「―――兄さんが、出て行ったわね?」 確認する様に、静かに言う。 「は、はい、先程、警報装置に反応が―――」 「それに街中から感じる、この魔の波動……」 気が付けば、秋葉の髪は闇の中に在って、かすかに紅く視えた。 「私も出ます! 準備を―――」 秋葉は振り返り、告げ――― 「―――ぅ、グ……はぁっ?!」 歩み出そうとしたその膝が、力を失い崩れ落ちる。 「あ、秋葉さま?!」 慌てて琥珀が駆け寄り、秋葉を支える。 「に、兄さんの……命が……くぅ?!」 「秋葉さま! 志貴さんへの命の供給を絞って下さい! このままでは秋葉さまが?!」 「……そんな事、出来るものですかっ?!」 絞り出すように、秋葉が琥珀の願いを拒絶する。 「翡翠ちゃん……警備室に入って。志貴さん達の状況の確認とフォローをお願い!」 「でも! 姉さん?!」 「秋葉さまはわたしが。大丈夫だから」 「……分かった」 そのまま、翡翠は地下へ向かう。 「……悪いわね、琥珀……」 翡翠が部屋から遠ざかった所で、苦しげな吐息の向こうから、秋葉が琥珀に言った。 「あまり、翡翠ちゃんには見せられませんからね」 そう答えると、琥珀は自らの服の帯を緩め、胸元をあらわにする。 秋葉は、そのはだけられた琥珀の胸へと口を寄せる。 つ―――と、紅い一筋。 秋葉の口元から、流れ、琥珀のまとう襦袢へ染み込んで行く。 「……はぁ……」 ゆっくりと、その口を離して行く。 「大丈夫ですか? 秋葉さま?」 「それはこちらの台詞よ。だいぶ楽にはなったわ」 そう言いながらも、秋葉の表情には歪みが残る。 「……ふ、ふふ……やっぱり無理してるわね、兄さん……」 ふらつく秋葉の肩を、すぐに琥珀が支える。 「判るわ。大怪我してるのに、それでも直死の魔眼を使うのを止めようとしない……死ぬほど苦しいはずなのにね……」 「でも、それは……命を繋いでらっしゃる秋葉さまにも……」 秋葉は琥珀の眼前で手を上げて、その言葉を制する。 「今にも飛んで行ってしまいそうな兄さんの命を繋いでいたのは私。それはこれまでも、そしてもこれからも変わらないわ。世界の何が文句を言おうとも、私の命は兄さんと共に在るのですもの」 言いながらも、その髪は、紅く激しく燃え盛る炎の様に、あるいは毒々しく赤く染まる蛇の様に、床を長く波打ち、広がって行く。 「―――絶対に―――!」 噛み締める秋葉の口元からは、鮮血が一滴。 それは、先程の琥珀のものか、噛み切れた自らのものか。 「離す、もんか――――!!」 紅い『織髪』に包まれ、異界と化したその部屋で 琥珀はその胸に抱いた、秋葉の頭を落ち着かせる様、撫でながら 言葉無く、ただ、口だけを動かしていた。 ごめんなさい 秋葉さま ごめんなさい 翡翠ちゃん ごめんなさい 志貴さん ごめんなさい 四季さま 紅い『織髪』の蠢く中で、震える秋葉を支えながら、ただ ―――――ごめんなさい。 ★あとがき★ うぃ、Qさんですー。 今作は、前作『三咲町大乱舞』の続編にあたります(^^; 死徒退治やら変な事件やら、志貴君が無理をしに行っちゃった時に、屋敷に残された3人はどうしているんだろう? ……って思ったのがこの話しのプロットでした。 志貴君の命が四季に吸われまくっていた時には、秋葉はずいぶん発作という形で反動が来てたみたいだし。 普段は志貴君には絶対見せないけど、秋葉の深い志貴への想いとか書いてみたいなーとか思いましたし。 さらにちこっと個人的に遊んでみました。 蒼月祭発行 まじかる袖の下 (残月−Waxing Moon−):序篇 MOONPHASE発行 残月−Shadow Moon− :志貴&アルク&シエル そして月姫SS祭り第二回 残月−Reverse Moon− :秋葉&琥珀&翡翠 それぞれ、独立したSSだけど、3つまとめても1本のSSになる。 こー、パズルみたいなSSもたまには面白いかなー、とか思いまして。 色々無理矢理実験意欲バンバンなこのSS。 ちょっとでも楽しんで頂けたのなら、幸いです。 |
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文責:Qさん(平成14年3月) | ||
●終章● いつの間にか、空は静か。 ―――――あれほどに荒れていた風は、いつの間に止んでいた。 「―――秋葉、さま―――?」 同じく鎮まって来た秋葉に、琥珀が呼び掛ける。 「……楽に、なって来たわ。多分、先輩の治癒魔術でも始まったんじゃないかしら」 深く、息を吐きながら秋葉は顔を起こす。 その顔には、わずかに憔悴の影が見える。 「お身体の具合は?」 「大丈夫よ」 ハッキリとした声で応え、立ち上がる。 その姿は、今先程の影はなく、遠野の当主の凛とした立ち振舞い。 そのまま頭を一振り、流した髪を整え、琥珀に続けて指示を出す。 「すぐに兄さんが、あのお二方に連れられて戻って来るでしょう」 「え……!」 慌てた様に琥珀が立ち上がる。 と、そこへ翡翠が駆け込んで来る。 「―――志――志貴さまが、大怪我をして――――」 「あら? 思ったより早かったわね。翡翠、貴方は時南先生に連絡を。琥珀、貴方は治療の準備を」 「は、はい」 「はいー」 「絶対に死なせたりなんかしませんわ」 上着を羽織った秋葉は、出迎える為に部屋を出る。 「言ってやりたい事が山ほどあるんだから!」 |
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(了) |
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