月姫
 (C)TYPE-MOON

         
 
 
 
 
 
 
  ――それは、月と呼ぶにはおこがましい、朱の天蓋。
 
 
 地に訪れた災厄を覆い尽くしさんと、一面を染めたてる。
 
 
 土くれにばら撒かれた液体よりも、更に濃く、更に黒く。
 
 
 世界が深紅に定められたかのように。
 
 
 まるで、悪夢。
 
 
 トリツカレタモノタチへノ、アカイアクム――
 
 
 
 
 
 
 


月姫 ショートストーリー
『 ツ・キ・ア・カ・リ 』

written by まふたぁ.


 
 
 キィン!
 ガギッ!

 
 
 
 交錯する力と力。
 
 闇夜の森に灯る、一縷(いちる)の白光。
 
 
 
 散らした火花の陰に映る、2人の男。
 
 打ち込みが足りないとみるや、すぐに間合いを取る。
 
 再び、暗転。
 
 
 
 
 
 
ガンッ!!
 
 
 
 一段と強い戟音。
 
 ザワザワ……
 
 深緑の草木たちが激しく揺さぶられる。
 
 静寂を壊す者たちへ非難するも、2人は気にも止めない。
 
 
 
 互いの武器が中央で鍔迫り合う。
 
 伯仲する突進力は互角。
 
 と、一方の男が体制を崩した。
 
 気勢の抜けた武器を下げ、地に伏していく。
 
 好機とばかりに、相手の短刀が振りあがる。
 
 
 
 だが、それは男のブラフだ。
 
 崩れた姿勢のまま、注意の失せた足元へ鉢を打ち込みにかかる。
 
 構えもへったくれもない、しかし純粋な戦闘行為だ。
 
 短刀の男がそれに気づくも、交わす余裕はない。
 
 迷わず、短刀を鉢と脛の間に割り込ませる。
 
 
 
 シュン!
 
 
 
 刹那の時間差に木霊する、短刀の一閃。
 
 そこへ鉢の先端が襲い掛かる。
 
 が、快音は生じない。
 
 男にも、手応えはない。
 
 どころか、空虚を穿ったような虚脱感が手に伝わる。
 
 見れば。
 
 突き刺さっているのは、微妙に色の異なる世界の入り口。
 
 有体に述べるなら、異空間。
 
 
 
 状況を理解し、鉢の男は地を蹴って闇に紛れる。
 
 溶け込む気配。
 
 独り置き去りになった喪失感が森に伝播する。
 
 だが、男はてぐすね引いて機会を伺っている。
 
 
 
 赤熱していた空気が清浄なものに回帰する。
 
 草木のざわめきは止み、永らくして訪れた深い眠りにつく。
 
 だが、彼らは知らない。
 
 今までのは、前哨に過ぎないのだから。
 
 
 
 切っ先を眼前に突き出し、先端に視線を集中する。
 
 男は相当に疲弊している。
 
 が、不思議と倦怠感はない。
 
 剣を携える二の腕には、細胞の悲鳴を凌駕するほどの昂ぶりが肌に伝播する。
 
 脚も。指先も。眼も。口も。耳も。脳に至るまで。
 
 男を構築するすべてが狂おしいほどに興奮している。
 
 殺人という行為を極限にまで突き詰めたとき、自身の「血」は男の意志を略奪する。
 
 それが、彼を生き長らえさせる遺伝子の結論。
 
 人間のカタチをした力の究極を永久に生かすために。
 
 
 
 
 
 それは、相手も同じだ。
 
 闇の粒子を纏い、相手の出方を伺う彼にも、血の葛藤が四肢を締め上げる。
 
 血管を破砕し、肉を引き破り、外気に噴出する勢い。
 
 男はそれを、徹底的な冷徹を以って抑え込んでいる。
 
 破壊的衝動を完全に制御する強靭な精神。
 
 殺人を本能ではなく生業でこなすプロフェッショナル。
 
 それこそが、この男が当主たる所以だ。
 
 
 
 
 
 互いの血が極限に燃え滾る時。
 
 それこそ、大気もろとも紅き気化熱に侵された時。
 
 2人は再び、命の禊ぎを再開する。
 
 
 
 
 
 先手を仕掛けたのは、意外にも短刀の男。
 
 見えないはずの敵に向けて、真一文字の一閃。
 
 それも、前方はもちろん、左右、後方、頭上と、立て続けに振り回す。
 
 リーチのない刀の間合いに相手が待ち構えているわけもなく、すべてが空を割くばかり。
 
 しかし、相手は一向に闇から這い上がろうとしない。
 
 先に見た、短刀の攻撃。
 
 空間を引き裂いた、人外の業。
 
 奴の剣は、すべてを二分するのだ……!
 
 
 
 ――案の定。
 
 
 グォン!
 ァアン!

 
 
 闇の中から、新たな闇が現出する。
 
 夜目でも濃密に映る黒の世界から、突如として隆起する真の黒。
 
 男を保護するかのように放たれた暗黒物質。
 
 文字通り、それは彼を黒く塗りたてていく。
 
 相手には、短刀の男の四肢が失せるようにしか見えなかった。
 
 可視光以外の波長をも探知する彼の探知能力を以ってしても、相手の姿はロストしている。
 
 それはまさに、あらゆる粒子を閉じ込める黒き天体の仕業であった。
 
 無論、短刀の男にそこまでの算段はない。
 
 脳がショートしそうな、しかし鮮明に映る外界のフィードバックは、幾重にも広がる空間の裂け目を垣間見せていた。
 
 そのクレバスを刀でさすってやった、それだけのことだ。
 
 
 
 
 
 鉢の男は完全に敵を見失った。
 
 視覚はおろか五感を通しても彼は発見できない。
 
 ならば、と。
 
 男は闇から御身をさらけだした。
 
 相手が捕捉できない以上、穏行を続けても意味はない。
 
 自らを囮とし、襲ってくるその一瞬に賭ける。
 
 常に徹底した殺人考察を貫く男とは思えぬ英断。ひとつ間違えれば死は免れない。
 
 ……だが。
 
 相手だけは、この男だけは自分のスタンスを崩してでも殺さねばならない。
 
 それが、彼自身と、その血が下した結論だ。
 
 
 
 
 
 そして、機会は訪れる。
 
 微かに揺れる葉音。
 
 地に埋もれる腐葉土の一片が、微動を繰り返している。
 
 それも、鉢の男に徐々に接近しつつ…
 
 
 
 
 
 パァ…!
 
 
 
 葉が一斉に舞い上がる。
 
 男の四方を囲んで、茶褐色の檻が形成される。
 
 その、揺らめく葉風の中から、異物が飛び出してきた。
 
 シュ!……ン
 
 葉の嵐を蹴散らし、空気を薙いだ音速の刃が男の頸動脈を狙う。
 
 避けるには難しい至近距離。
 
 だが男は、何の躊躇もなく。
 
 刃に向けて2つの先端を尽き出した。
 
 
 
 
 
 
ゴフッ!
 
 
 
 男の指先に感じる人肌。
 
 ゴリゴリと肉を潰す感触。
 
 鉢の打突は、暗黒物質を貫き、短刀の防御をも逸らし、相手の右腹部にヒットした。
 
 黒き粒子が瞬くまに消え失せ、苦痛に歪む顔が覗く。
 
 
 
 
 
 いや。喘いでいるのは鉢の男も同様だ。
 
 カマイタチは彼の左肩から胸にいたるまで深い傷口を開かせた。
 
 血が溢れないのは、筋肉を収縮させて血管ごと閉じこめているからだ。
 
 驚異的な精神力と言わざるをえない。
 
 あと一撃。気勢を鉢に集まれば、相手は内臓ごと破砕する。
 
 己の苦しみなど問わず、男は掌に気合を収斂する。
 
 
 
 
 
 短刀を握る手に力が入らない。
 
 腹に突き刺さる異物が精力をくいつくさんと内部を侵食する。
 
 あと数センチ。
 
 相手が腕を突き出せばそれで死に至る。
 
 そのこと自体、彼には興味はない。
 
 ただひとつ。
 
 目の前のこの敵に一矢報いられなかったことだけが。
 
 それだけが男の悔やみ。
 
 瞼が閉じてゆく。
 
 生への渇望を諦め、徐々に死を受け入れる。
 
 そう、願った。
 
 ――だが。
 
 
 
 
 
 
ドクン!
 大きく脈打つ心臓。
 
 
 
 
 
 
ドクン!
 凍り付こうとしていた心肺機能が、最後の煌めきとばかりに活力を取り戻す。
 
 
 
 
 
ドクン!
 その勢いに、穿った穴から赤いものが流出する。
 
 
 
 
ドクン!
 それでも、四肢の末端まで、彼の血は駆け巡る。
 
 
 
 
ドクン!
 コロセ。
 
 
 
ドクン!
 コロセ、コロセ。
 
 
ドクン!
 コロセ、コロセ! コロセ!!
 
ドクン!
 ……血が命ずるままに。
 
 
 
 
 
 男は、激しく吼えた。
 
 
 
 ――!
 
 驚愕する鉢の男。
 
 彼の顔面に縦の亀裂が浮き出る。
 
 
 
 それは。
 
 相手が最後に抗った一矢。
 
 中空に漂っていた木の葉が、男の彷徨に応えるかのように舞い、敵の「線」をなぞったのだ。
 
 
 
 
 
 急速に薄れる意識。
 
 身体とのコンタクトはもう取れない。
 
 相手が見せた葉の一閃が、己の神経を断ち切った。
 
 ……声のない失笑。
 
 彼の唯一の過ち。
 
 それは、相手の武器が短刀だと思いこんでいたこと。
 
 彼の武器はそんな一過性のものなのではなく、敵を殺す「目」そのものだということに。
 
 
 
 
 
 気づいたときには、すべてが終わっていた。
 
 鉢を手放し、だらりと下がる腕。
 
 墜ちる葉とともに、地に崩れる。
 
 消え入る瞳が最後に捉えたものは……
 
 
 
 
 
 神々しく揺らめく青白き相貌――。
 
 
 
 
 
 2人は互いの素性を知らない。
 
 知る必要もないし、知ったところで戦闘には無駄な情報でしかない。
 
 例え、互いが親子などという些事だとしても。
 
 
 
 
 
 短刀の男の意識もすでにない。
 
 無意識の殺人行為。
 
 心あらずのがらんどうの肉体。
 
 この身を置き去りにして。
 
 男は真なる世界に帰還する。
 
 朱に満たされた空を舞い、目指すは朔夜の真円――





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